2023年5月9日火曜日

中学生の作曲かよ!と思った夏川りみ、だんだん良さがわかるように

■2021/12/13 ゆっくりで死ぬ!沖縄の「やなわらばー」の曲と「ウチナータイム」
■2021/11/05 中学生の作曲かよ!と思った夏川りみ、だんだん良さがわかるように
■2021/11/01 バンドのBEGIN(ビギン)が思った以上に沖縄出身っぽさゴリゴリだった…
■2024/01/17 生まれた時代が悪かった?評価ほど売れなかった石嶺聡子

■2021/12/13 ゆっくりで死ぬ!沖縄の「やなわらばー」の曲と「ウチナータイム」

 叔母がいらなくなったというCDの中で多かった沖縄系のひとつ「やなわらばー」のアルバム「青い宝」。やなわらばーは、東里梨生(あいざと りお )と石垣優(いしがき ゆう)のユニット。アルバムのクレジットは、りおとゆうのみ。りおはジャケットの絵も描いていますね。全然知らなかったユニットです。
 共に沖縄県というだけでなく、石垣市出身で、他にあったCDのビギン、夏川りみと同じ。ゆうの方は名字も「石垣」です。わかりやすいですね。

 Wikipediaによると、ユニット名のやなわらばーとは、沖縄本島の方言で、「やな」(イヤな・ダメなの意)と「わらばー」(子供の意)を合わせた言葉。じゃあ「だめな子」って意味なの?と言うと、そうではなく、「やんちゃな子ども」「悪ガキ」「いたずらっ子」という意味を表すそうです。
 ただし、やなわらばー自身の出身である石垣島の方言では、「やなふぁーなー」と言われているが、なぜかあえて、名前を「やなわらばー」としたそうです。ただ、この名前のためか、石垣市長からは「変えなさい」と言われたとのこと。沖縄感はあるものの、石垣市感では劣るようです。

 曲の方ですが、他のいっしょに聞いた沖縄系の曲といっしょで最初は苦痛。間延びした感じが退屈すぎて死にそうでした。ただ、繰り返して聞くうちに、こういう良さもあるような…と。沖縄らしいゆったりさなのかもしれません。
 これで思い出したのが、「ウチナータイム」という言葉。これは沖縄時間という意味で、Wikipediaでは、<日本の南西端沖縄県に存在する、日本本土とは異なる独特の時間感覚。または、沖縄において集会・行事などが予定時刻より遅れて始まること>の説明。他に以下のような説明もあります。

<沖縄県においては、本土または内地と呼ばれる他46都道府県とは異なる独特の時間感覚が存在する(引用者注:ただし、九州でも同様の傾向が指摘されています)。これをウチナータイム、または沖縄タイムと呼ぶ(ウチナーとは琉球語で沖縄のこと)[2]。南国であるためかその時間はゆっくり流れ[2]、県民性は「テーゲー」(適当、いい加減)と称され[2]、または「なんくるないさー」(なんとかなるさ)[2]、細かいことや過ぎたことは気にしないとされる[2]。
 飲み会や私的な集まりにおいて約束の時間に間に合わせるといった意識、あるいは間に合わないことは悪いことであるという概念は、希薄もしくは存在しないと言われるほどであり[2]、30分や1時間の遅刻はザラであるという[3]。その他各種集会などについてもそのような傾向があり、主催者側も心得たもので特に慌てることもなく、そもそも開始時間にサバを読んでおく場合もある。そもそも定刻に到着してもどうせまだ誰も来ていないのだから遅れても仕方ないといった次第であり[4]、待つ側に怒りや苛立ちはなく、待たせる側にも罪悪感はない。逆に遅刻くらいで文句を言う人間は口うるさいなどとして嫌われる場合もある>

 アルバム自体は「ゆったりさ」がテーマではなく「青」がテーマ。アルバムタイトルになっている「青い宝」など、「青」という言葉が歌詞に出まくっていました。
 「ゆっくりもいいよね!」と思った私ですが、結局、一番好きな曲はアルバムの中ではやや異色の「夏休み」。歌詞に出てくる自転車のベルのような音を使うなど、他の曲より不純物があり、飽きさせない仕様で楽しい曲でした。ゆっくりはゆっくりで良いのですが、結局、ゆっくりシンプル…じゃない方が好きなようです。
 ちなみに沖縄出身で一番好きなのは、INDIAN-Hi(インディアンハイ。後にIN-HI(インハイ)に改名)。沖縄色のあるミクスチャー・ロックであり、全然ゆっくりできません。

■2021/11/05 中学生の作曲かよ!と思った夏川りみ、だんだん良さがわかるように

 叔母がいらなくなったというCDをいくつか聞いています。沖縄関係が多めで、1つが以前別の人から借りたことのあったビギンのアルバム「ビギンの一五一会」。他に夏川りみの「てぃだ 〜太陽・風ぬ想い〜」もあったのですが、何しろ私の趣味で買ったものではないので、最初はう~んという感じ。
 BOOMの島唄のカバーもありますが響かず。歌はめちゃくちゃうまいとは思うのですが、何しろ壊滅的にセンスが私と合いません。ここらへんは、好みの問題なので、夏川りみさんや関係者が悪いわけじゃないんですけどね。とはいえ、ヒットした「涙そうそう」だけは掛け値なしで良いですね。作曲したビギンのバージョンより夏川りみ版の方が大好きです。
 全体に最初、退屈で間延びした印象でした。聞いていて、最初は苦痛なほどです。ただ、繰り返して聞いているうちに、むしろイイじゃん!という感じに。これはこれで良いですわ。
 「月のかほり」は特に「中学生が作った曲みたいで聞いていて辛い!いたたまれない!と最初私の趣味と合わなかった曲なのですが、これも後から良い感じに。伸ばすところが多いし、歌いづらそうだなとも思ったのですが、逆に言えば、夏川りみさんのうまさがわかりやすい曲かもしれません。

 ■2021/11/01 バンドのBEGIN(ビギン)が思った以上に沖縄出身っぽさゴリゴリだった…

 MDにBEGIN(ビギン)のアルバム「ビギンの一五一会」が入っていて、なんじゃこりゃ?と。覚えがありません。ただ、後半の選曲を見て思い出しました。同じ会社にいた人が入れてくれたMDっぽい感じ。前半がその人の趣味で、後半がバンドをやっていた息子さんの趣味だったかもしれません。
 今Wikipedia見て知りましたが、「ビギンの一五一会」というのは、楽器「一五一会」を使ったセルフカバーアルバム。「一五一会」というのは、誰でも簡単に弾けるのが特徴のギターと三線を合体させたようなオリジナル弦楽器なんだそうな。それでいちいち曲に一五一会バージョンって書いていたんですね。

 MDには当時の感想メモを残していました。BEGINの曲があって驚いたというのは、私の趣味ではないため。例えば、「声のおまもりください」は発売時から知っていた曲だが当時特に興味を感じなかったし今でもそうだ…といった感想があります。今聞き直しても特に好きじゃないですね。有名な「涙そうそう」も夏川りみバージョンの方が好きです。
 ただ、「島人ぬ宝」は大好き。聞いていて「なんか聞いたことあるな」と思って悩んだ末に思い出しました。沖縄地方出身の別の会社の先輩がよく歌っていて、いいなと思っていた曲ですわ。当時は、ビギンだとは知りませんでした。これはマジで大好きです。
  ただ、この感想メモを書いた後、他の曲も繰り返し聞いているうちに結局全部良くなってきました。普通にいいですね。

 ビギンは沖縄出身なのかな?と思ったら、普通に沖縄出身(沖縄県石垣島)みたいですね。比嘉とか島袋とか名前も沖縄っぽさがゴリゴリ。会社の沖縄出身の先輩は沖縄臭ゼロで、日本人に多い名字ベスト10な名字だったんですけど…。

    比嘉 栄昇(ひが えいしょう、1968年7月15日(53歳) - ) - ボーカル
    島袋 優(しまぶくろ まさる、1968年9月23日(53歳) - ) - ギター・ボーカル
    上地 等(うえち ひとし、1968年6月23日(53歳) - ) - ピアノ・ボーカル
■2024/01/17 生まれた時代が悪かった?評価ほど売れなかった石嶺聡子

 母が買ったCDの整理で石嶺聡子(さとこ)を聞きました。1stアルバム「INNOCENT」と次の「situation」です。
 自分の趣味じゃないってのはありますが、やっぱり合わないですね。良さはわかるのですけど、好みとしては全然です。

 正統派女性ボーカルといった感じで、ストレートな良さは感じるところ。ただ、癖がなさすぎて、私が引っかかるようなフックはなし。また、セールス的にはそれほど売れたわけでは無いので、世間的にも支持が厚かったわけじゃないでしょうね。
 聴いていて思ったのが、生まれた時代が悪かったかな?という。母が好きであったように、もう少し早く生まれていれば、評価の高さだけでなく、セールスもついてきたんじゃないかと思います。

 ウィキペディアも眺めてみました。<石嶺 聡子(いしみね さとこ、1975年10月3日 - )は、日本の女性歌手、シンガーソングライター。沖縄県那覇市出身>との説明。彼女も沖縄県出身でしたっけ。忘れていました。沖縄県は本当歌がうまい人多いですね。
 デビューの経緯を見ても、歌のうまさがわかります。また、「シンガーソングライターめじろ押しの当時のポップス界では歌がうまいだけでは話題性に欠ける」という、生まれた時代の悪さを感じさせる話もありました。

<1992年9月、首里高校2年生時に琉球放送代表として出場した「第16回長崎歌謡祭」で「石狩挽歌」を歌ってグランプリを獲得したのを機に、東芝EMI(当時)のプロデューサー・篠木雅博にスカウトされる[4]。
 高校卒業後に上京すると間もなく、ボイストレーニングとダンスと英会話のレッスンのためにアメリカ・ロサンゼルスに留学[注 1][4]。

[注 1^ シンガーソングライターめじろ押しの当時のポップス界では歌がうまいだけでは話題性に欠けるため、アーティスト性の要素を備えさせたいというプロデューサーの篠木の意向だった。

 帰国後の1994年11月9日に『土曜日とペンと腕時計』でメジャー・デビュー。しかし、レコードとライブの2本立てに絞って育てるプロデューサーの篠木の方針で、芸能事務所には所属させずにレコード会社の東芝EMI内でマネジメントするスタイルをとったため、テレビ番組などのブッキング力がなく、当初はメディア露出に苦戦した[4]。>

 その後、<翌1995年3月、『第5回NHK新人歌謡コンテスト』に出場し優勝>というのも、やはり歌のうまさがわかる話。
 ただ、その後、私の認識違いの話が登場。不遇だったような記憶ですが、50万枚売れるスマッシュヒットを飛ばしていました。そういや、この『花』が代表曲でしたね。紅白歌合戦にも出ていますし、普通に成功していましたわ。

<同年、映画『ひめゆりの塔』主題歌として喜納昌吉の代表曲『花』をカバー。新人歌謡コンテスト優勝者としてこの年の『第46回NHK紅白歌合戦』に『花』で出場し、CD売上が50万枚を越えるロングヒット[5]。翌1996年3月、インドネシア・バリ島で開催された「第1回アジア音楽祭」で『Asian Dream』を歌いグランプリを獲得する。>