2023年6月24日土曜日

安楽死・尊厳死と優生思想をいっしょにするな! → 現実には密接に関係 「高齢者は見るからにゾンビ」で社会資源の無駄で棄てるべきと優生思想的な主張

「高齢者は見るからにゾンビ」で社会資源の無駄で棄てるべきと優生思想的な主張


2020/07/26 全身の筋肉が動かなくなっていく神経難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症した京都市の女性が薬物を投与されて殺害されたとされる事件。こうしたことを安易に容認するわけにはいきませんが、本人は辛かったでしょうし、殺害したとされる医師二人も真剣に考えた上での苦渋の決断であり、同情できる点があると考えていました。
 ところが、続報の 逮捕された医師は元厚労省官僚 「高齢者は社会の負担」優生思想 京都ALS安楽死事件 (2020年7月23日 17:00 京都新聞)を読んでびっくり。 元・厚生労働省医系技官で、呼吸器内科医の医師はネットで「高齢者は見るからにゾンビ」などと投稿。高齢者への医療は社会資源の無駄、寝たきり高齢者はどこかに棄てるべきと優生思想的な主張を繰り返し、安楽死法制化にたびたび言及していたという、普通に差別的な方でした。


安楽死と優生思想をいっしょにするな! →  現実には密接に関係


 こうした報道には、「安楽死と優生思想を結び付けてはいけない。この問題とは別に安楽死の法制化が必要」といったコメントがいくつか出て、なおかつ賛同を得ています。これは確かにそのとおりと言える面はあるものの、むしろ今回の件は、安楽死への賛同意見にはこうした優生思想の人が少なからず含まれていることを無視してはいけない…と考えるべきだと思います。今後追記する予定ですが、安楽死的な思想と優生思想は同居していることが全然珍しくないんですよ。
  そうした別の話をやる前に、前述の元・厚生労働省医系技官の話をもう少し。上記とは別の日経新聞の記事(2020/7/23 23:29)によると、元・厚生労働省医系技官は高齢者を死なせることを前面に掲げた感じのタイトルでブログも公開。さらに、同じようなタイトルの電子書籍も公開。電子書籍はいっしょに逮捕されたもうひとりと思しき人のペンネームも見えるそうです。この電子書籍の説明文も普通に悪意があるものでした。
「『今すぐ死んでほしい』といわれる老人を、大掛かりな設備もなしに消せる方法がある」「違和感のない病死を演出できれば警察の出る幕はない。荼毘(だび、引用者注:遺体を火葬すること)に付されれば完全犯罪だ」
 その行為を認めるかどうかは別として、私は善意による無償の「殺人」の可能性も考えていたわけですが、被害者から150万円の現金が振り込まれていたとも報じられています。ブログでは、「バレると医師免許がなくなる」「リスクを背負うのにボランティアではやってられない」などと記されていたそうですが、当初受けた印象と続報とで、全くイメージが変わってしまった事件です。


 「老人は社会的罪悪」「自殺を提案」…日本尊厳死協会の初代理事長・太田典礼はガチの優生思想


2020/07/27 安楽死と優生思想との結びつきの深さに関して。医師であり、戦後政治家としても活動していた太田典礼さんは、政界引退後、日本安楽死協会を発足させて、初代理事長に就任していますが、これはもろに優生思想によるものだったんです。

<太田は老人について「ドライないい方をすれば、もはや社会的に活動もできず、何の役にも立たなくなって生きているのは、社会的罪悪であり、その報いが、孤独である、と私は思う。」と主張し、安楽死からさらに進めた自殺を提案したり、安楽死を説く中で、障害者について「劣等遺伝による障害児の出生を防止することも怠ってはならない」「障害者も老人もいていいのかどうかは別として、こういう人がいることは事実です。しかし、できるだけ少なくするのが理想ではないでしょうか。」と主張した。また『週刊朝日』1972年10月27日号によれば、「植物人間は、人格のある人間だとは思ってません。無用の者は社会から消えるべきなんだ。社会の幸福、文明の進歩のために努力している人と、発展に貢献できる能力を持った人だけが優先性を持っているのであって、重症障害者やコウコツの老人から〈われわれを大事にしろ〉などと言われては、たまったものではない」とも述べている>(太田典礼 - Wikipediaより)

「尊厳死」は優生思想をごまかすため…批判を浴びて名前だけ変更していた…


 尊厳死は安楽死とイコールに思われているのですが、38.尊厳死(そんげんし) - 「病院の言葉」を分かりやすくする提案では、異なると指摘。安楽死は、末期患者の苦痛を除去し死期を早めることを目的としている一方、尊厳死は、死期の引き延ばしをやめることを目的としているとしていました。
 太田典礼さんも、当初は尊厳死を批判。ところが、1983年8月には「安楽協死会」を「日本尊厳死協会」に改称しています。この改称の理由は、イメージを変えるため…というもので、優勢思想から転向したわけではなさげでした。尊厳死という言葉を隠れ蓑に使っただけなのでしょう。

<もともと太田は「尊厳死」の用語を批判していたが、にもかかわらず「尊厳死」を採用したのは、「安楽死」が持つマイナスのイメージを払拭し、語感の良い「尊厳死」に変えることで世間の批判を和らげようとしたからである>

 私は尊厳死や安楽死を絶対認めるべきではない…という考えではないものの、尊厳死や安楽死を推進する側には、この太田典礼さんや最初の元・厚生労働省医系技官のように、差別的な思想をもっともらしい説明で隠しているだけの人がいることに注意しなくてはいけないでしょう。


実は日本でも安楽死が認められる場合がある…ALS嘱託殺人事件は全然安楽死とは違っていた


2020/07/29 ALS嘱託殺人事件では、安楽死や尊厳死の法制化を願う声が出ていますが、実を言うと、すでに日本でも事実上の安楽死が認められる場合があるそうです。
 生命倫理や死生学を専門とする安藤泰至・鳥取大医学部准教授(59)によると、1962年の名古屋高裁、95年の横浜地裁の判決で、要件を満たした場合は、患者を死なせても医師の罪は問われない…と判断されたことがあるそうです。ただし、これ、今回のケースとは全く違うんですよ。
 医師がまず、患者の苦痛緩和に手を尽くすことが前提。今回の場合、2人の医師はこの患者の治療すらしていません。全く安楽死とはいえない嘱託殺人事件を理由に、安楽死を法制化…というのは無理があるのではないかというのが、安藤泰至・准教授の意見です。
 また、自殺問題全般に言える話なのですけど、「死にたい」と言う人が常時一貫して確固たる意志を持って死にたいと考えているわけではないというのも重要。これは正反対の「本当に自殺する人は死にたいと言わない」という誤解とともによくある誤解です。自殺全般で言うと、「死にたい」と漏らした人は止めずにむしろどんどん死なせてあげましょう…という考え方なんですよね、医師たちがしたことって…。
 安藤泰至・准教授も<患者が「死にたい」という時、本当に死にたいというより、「死にたいとしか表現できない自分の気持ちをわかってほしい」ということが大きいように思います。また考えは、その時々で揺れ動きます>と指摘。安楽死が合法化されている国では、意思はいつでも撤回できるとともに、時間をおいて複数回示されなければならないなどと、一時の思いで安楽死が安易に実施されないよう工夫されているとも指摘。これも今回の事件が全然安楽死ではないという話です。
 また、このことは、今回の事件が殺人ありきであったことも思わせます。意識が回復せず寝たきりの状態にある患者の脳の研究によると、健常者が「死にたい」と思っているはずという彼らに死にたいか聞いてみると、脳から「いいえ」という反応が読み取れるとのこと。健常者から見ると「かわいそうな人」でも死にたいとは限らないのです。ネットでは、実際に医師らが書いた文の都合の悪いところを無視して、「マスコミのミスリード」で医師らは患者のことを思っているいい人…という見方に多くの賛同が出ています。ただ、 安藤泰至・准教授は、二人の医師らは一見、患者の意思に基づいて致死薬を投与しているように見えて、弱り切った難病患者や高齢者を生きる価値のない「かわいそうな人」と決めつけ、その命を絶つことを善行だと考えていると指摘。パッと見もっともらしいことを言って理論武装していますが、実際には殺すことが目的化していたと考えられます。
(ALS嘱託殺人 「安楽死」論議と結びつけるべきではない 安藤泰至・鳥取大医学部准教授  毎日新聞2020年7月26日 07時00分(最終更新 7月26日 07時00分)より)

安楽死と尊厳死の違いをわかっていない無知な石原慎太郎・元東京都知事


2020/08/01 石原慎太郎・元東京都知事が嘱託殺人の疑いで逮捕された医師2人を擁護するツイートをしていました。ただ、いろいろとひどすぎます。
  まず、安楽死と尊厳死の違いをこの人は全くわかっていない模様。尊厳死というのは前述の通り、延命措置を止めるだけ。今回のケースは、薬で殺しており尊厳死とは異なります。どちらかと言うと安楽死に近いですが、前述の通り、安楽死のケースとも異なると指摘されていました。また、末期患者でもありません。なぜか知識人扱いされているんですが、実際には全然ものを知らないんでしょうね。
 なお、ツイートの擁護部分は以下のようなもので、「愚かしさに腹が立つ」などと書いていますが、愚かしいのは石原慎太郎さんですわ。
 <尊厳死を願って相談した二人の医師が薬を与え手助けした事で「殺害」容疑で起訴された。武士道の切腹の際の苦しみを救うための介錯の美徳も知らぬ検察の愚かしさに腹が立つ>

石原慎太郎・元東京都知事「ALSは前世で悪いことをした報い」

石原慎太郎氏、ALS「業病」発言に異論続出 取材依頼も...関係者通じ「丁重にお断りしたい」J-CASTニュース (2020年7月28日 19時55分)では、生きたいという意思も示していたといい、気持ちが揺れていた面もあったらしいといった話もありました。これは、以前書いた、慎重に患者の意志を確かめなくてはいけないのに、医者ふたりは殺人ありきだったという話です。
 ただ、石原慎太郎さんのツイートがそれ以前のレベルでひどかったのが、「業病のALS」などと書いていたこと。業病」というのは、「前世の悪業 の報いでかかるとされた、治りにくい病気」。また、「悪業」というのは、仏教用語で、悪い行い、特に前世で悪事をしたことによる悪い報いをいいます。つまり、ALSという病気は、前世で悪いことをした報いだと言っているんですね。ALSを患っている人たちへの強烈な差別です。
 前述の通り、石原慎太郎さんは尊厳死も安楽死もさっぱりわかっていないために、中二病的に難しい言葉を使ってみただけで意味は知らなかった…という可能性はあるでしょう。ただ、石原慎太郎さんは、仏教系の新興宗教信者で経典を読むのに凝っているので、こちらはおそらく意味をわかった上で使っていると思われます。間違って使っていたのだとしても謝罪が必要なもので、同時に石原慎太郎さんが無知で知識人扱いしてはいけない…というところに落ち着く話ですけどね。


 「ALSは前世の報い」 の石原慎太郎氏 水俣病患者に「IQ低い」、重度障害者に「人格があるのかね」


2020/08/02 石原慎太郎さんの場合、言い間違いではなくガチで差別意識があるだろうというのは、以下のように、過去の発言からもわかります。マジで嫌になるほど、差別発言を繰り返してきました。生産性がない人はいらないといった思想も見えます。こういう人を日本人が熱烈に支持し続けてきた…という事実は、よく考えないといけませんね。

・1977年、自民党の環境庁長官時代に、水俣病の患者施設を視察した際に、患者から手渡された抗議文について、夜の会見で「これ(抗議文)を書いたのはIQが低い人たちでしょう」と発言。さらには「補償金が目当ての“偽”患者もいる」と侮辱。患者らの前で土下座して謝罪する事態となった。
・都知事となった1999年、重度障害者たちが治療を受けている病院を視察したことについて、会見で「ああいう人ってのは、人格があるのかね」「ああいう問題って、安楽死につながるんじゃないかという気がする」などと発言。
・2016年、神奈川県相模原市の知的障害者施設で19人が殺害され、20人が重傷を負った殺傷事件ついて、「文學界」(文藝春秋/16年10月号)の対談で「あれは僕、ある意味で分かるんですよ」と発言。
 ・2001年発売の「週刊女性」(主婦と生活社/11月6日号)で、「これは僕がいっているんじゃなくて、松井孝典(東京大学名誉教授)がいっているんだけど」と前置きし、「“文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババア”なんだそうだ。“女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪です”って。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を産む力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって…。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね(笑い)」と言及。名前を挙げられた松井教授は「私の言っていることとまったく逆」と抗議。
・2006年、文部科学省の伊吹文明大臣宛に届いた、学校のクラスメイトや担任、教育委員会が状況の改善に動かなければ自殺するという手紙について、「予告して自殺するバカはいない。やるならさっさとやれ」となど発言。(引用者注:前述の通り、自殺する人は何も言わず死ぬのは、典型的な誤解で事実ではありません)
・2010年、同性愛者について、「テレビなんかにも同性愛者の連中が平気で出るでしょ。日本は野放図になり過ぎている」と発言。サンフランシスコで見た同性愛者のパレードについても、「見てて本当に気の毒だと思った。男のペア、女のペアあるけど、どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう」と発言。
・2011年、東日本大震災について、「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を一回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と発言。
・2016年の東京都知事選での応援演説で、対立候補だった小池百合子都知事について、「大年増の厚化粧がいるな」「(都政を)厚化粧の女に任せるわけにはいかない」とセクハラ発言。
(以上、石原慎太郎が差別発言「(障害者に)人格あるのかね」「(水俣病患者の文書に)IQ低い」 り)