2023年7月3日月曜日

若くてきれいな女性をやたらと批判するおじさんの不思議な心理

●親しくもない知り合い程度の男性から突然「結婚しよう」…が2回も ●若くてきれいな女性をやたらと批判するおじさんの不思議な心理
●親しくもない知り合い程度の男性から突然「結婚しよう」…が2回も

:作家の群ようこさんは、男性にモテないイメージ。確か自分でそういった話を書いていた記憶があります。しかし、『この先には、何がある?』によると、2回求婚されたことがあるそうです。ただ、二度とも付き合っていたわけではないどころか、親しいわけでもない知り合い程度の男性からいろいろすっ飛ばして求婚されるというものだったといいます。

 一度目は「本の雑誌社」という出版社を退職して帰ろうとしたとき。仕事で知り合いだったグラフィックデザイナーが追いかけてきてお茶を飲もうと誘われたので喫茶店へ。すると、突然「きみと僕は結婚する運命にある」として、今後のことを相談したいと言われてポカーン。怒鳴りつけて席を蹴って帰ってきたそうです。

 もうひとりは、作家専業になった後。しばらく会っていない顔見知り男性から夜に突然ドライブの誘いがありました。電話番号も住所も教えた覚えがないのに、「そっちに行くから」と言われます。ストーカーじみていて本当は危険なのですけど、なんだかんだで実は人がいい群ようこさんは首を傾げつつ、身支度をして待っていました。

 このときも喫茶店に行きます。ここで注文を済ましたところ、いきなり「結婚しよう」との申し出。あまりにも唐突なので「はっ?」と言ったきり唖然としていると、彼は「やっぱりだめなんだ。いいんだ、わかった」と速攻で自己完結。あっという間に結婚の話は終わって、全く関係ない雑談をしてから帰ったそうです。

 だいぶ変わっていますが、これらは男性が勝手に勘違いして告白パターンと似た感じ。文章を見ると、群ようこさんははっきりした性格で誤解を呼ぶようなタイプじゃないと思うかもしれません。ただ、彼女を発掘した女性は確か、見るからに目立っていた変人という社員ではなく、淡々と仕事していたと言っていた記憶です。
●若くてきれいな女性をやたらと批判するおじさんの不思議な心理

:群ようこさんの『この先には、何がある?』を読んでいると、鷺沢萠(さぎさわ めぐむ)さんという女性作家が出ていました。35歳で亡くなっているせいか、私は知らなかった作家。ただ、上智大学外国語学部在学中に文學界新人賞を当時最年少で受賞し、女子大生作家としてデビューし活躍していおり、かなり売れていた作家さんだったようです。

 <a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B7%BA%E6%B2%A2%E8%90%A0" target="_blank">ウィキペディア</a>によると、1992(平成4)年『駆ける少年』で泉鏡花文学賞を受賞した他、受賞こそしていませんけど、「葉桜の日」などで芥川賞候補に「ほんとうの夏」などで三島賞候補に挙げられたそうです。ほとんどの作家はここまでのレベルにはならず、かなりの上位の売れっ子作家でした。

 この鷺沢萠さんは、出版社主催のパーティーなど、賞の受賞経験がある先輩男性作家に批判やアドバイスを受けることが多かったそうです。じゃあ、彼らは鷺沢萠さん以上の売れっ子作家で、文壇の大御所が親切にアドバイスしてくれているのか?と言うとそうではありません。

 確かに受賞経験はあるのですが、受賞後はまともに活動していない人ばかり。見事に良い作品を書けないダメ作家ほど先輩面してケチをつけてくる…という滑稽なことになっています。かと言って、大御所男性作家が若い女性作家をチクチクいじめる…というパターンだったとしても、みっともない話ではありますけどね。

 この話で思い出したことがふたつ。一つは「批判する人ほど仕事ができない」という話で、今回のパターンにきれいに当てはまっています。そして、もう一つ思い出したのが、若くてきれいな女性ラーメン店店主が、男性ラーメン評論家やラーメンオタクらに批判ばかりされていたこと。鷺沢萠さんも群ようこさんいわく美貌の人だったそうです。

 若くてきれいな女性に対し、下心丸出しでヘラヘラしてお世辞を言いまくるおじさんもどうかとは思います。実際、そういう人もいるでしょう。ところが、そうはならず若くてきれいな女性をやたら叩くことで、自分をアピールするおじさんというのも、不思議なことに結構いるのかもしれません。どちらにせよ迷惑極まりないですね…。
●戦前の人が一番良かったと思う時代は「昭和十三年」 その後は…

:作家の群ようこさんは、三味線・小唄を習っています。『この先には、何がある?』によると、このお稽古では、師匠や姉弟子から聞く昔の浅草の話も興味深いとのこと。で、姉弟子が言っていたという話で印象に残ったのが、「昭和十三年頃が一番良かった」という話です。

 飽くまでこの姉弟子の主観であり、当時の一般的な感覚といっしょだったかわからないのですが、「それから少しずつ変になっていって、あっという間に太平洋戦争」という感覚。たった3年で戦闘状態になったとされていました。一般的にも太平洋戦争は1941年(昭和16年)12月8日から始まった…とされています。

 ただ、以前書いたように、日本では昭和十三年よりだいぶ前からアメリカを醜悪な悪役として描く洗脳っぽい絵本を民間が作っており、一部では戦争に向かって突き進んでいた感じですね。逆に言うと、一般人が知らないうちに、戦争を好む人たちが流れを作っていたとも言えるかも。これは今でも注意しないといけないかもしれません。

 なお、群ようこさんの姉弟子は、「それから少しずつ変になっていって」に絡み、「そしてそれまでの素晴らしかったものが、全部なくなった」とも言っていたそうな。太平洋戦争を美化・正当化する層と日本の伝統を誇る層はかぶりがちですので、「戦争によって日本の良いものがみな失われてしまった」という指摘は感情的に受け入れられなそうです。






 <a href="https://amzn.to/3We5s6a" target="_blank">いつものお茶、いつもと違う猫</a>によると、
作家の谷村 志穂さんは、なぜかよく知らない人に絡まれるとのこと。特にお寿司屋さんで男性から絡まれることがダントツで多いそうです。このお寿司屋さんというのは回らないお寿司屋さんで、1997年の書籍ですので、そもそも回転寿司は今よりずっと少なかったと思われます。

 さて、どういう風に絡まれるか?という話。谷村 志穂さんは、新宿のお寿司屋さんで女性3人でお寿司を食べていました。まず、話しかけられる前からお酒をたくさん飲んでいる男性ふたりが途中から黙り込んで、谷村 志穂さんたちに目線を送っていたので、嫌な予感はしていたといいます。

 男性ふたりは、谷村 志穂さんの親くらいの年齢だとのこと。他の話からすると、このときの谷村志穂さんはたぶん30歳ちょっと。昔は結婚が早かったので、親くらいの年齢とい言うと、50代なかばから後半くらいな感じですかね。まだ定年には達していない…といった年齢じゃないかと思います。

 この男性が「あのね、話しかけてもいいかな」と話しかけてきたので、聞こえないふりをしていましたが、了解を得ずに話を続行。「さっきから不思議に思っているんだけど、君たちはなんで女性だけでいるのか?」というそれこそ不思議な質問をしてきます。女性だけだとなぜ不思議なんでしょう?

 谷村 志穂さんはなお無視しましたが、友人のひとりが「連れてきてくれる殿方がいないから」と話に合わせて答えると、「今の男は情けない」などと延々と若い男性をバッシング。じゃあ、若い女性を尊重しているのかと思いきや、なぜかここから若い女性叩きへと流れていきます。

 「それは強すぎるあんたたちの責任じゃないの?男なんて弱いんだから、上手に操ってやらなきゃ?」というこれまた謎の理論で説教。一方で、「ぼくはちょっと会社を持っていて、この人は有名な評論家なんだけどね」と、聞かれてもいないのに、自分たちは強い男だとアピール。ダサすぎます。

 私は読んでいておじさんたちのあまりの情けなさに笑えましたが、谷村 志穂さんは頭に来て「無礼だし、今の若い男性の方が幸せじゃないか。少なくとも見ず知らずの人に絡まない」などと言い返して退店。男性ふたりは目をひん剥くほど怒っていたそうです。

 一方、女性ふたりは「免疫がないなあ。会社勤めしていると、あんなのは慣れっこだよ」としていました。これが普通という社会はクソなんですけどね。それだけ数十年前の日本はひどかったんでしょう。セクハラだらけの社会でした。今ではさすがにそんなことないと思うのですけど…。

 また、ふたりは「オヤジたちは、寿司屋は男性の聖域だと思っていて、女性がいるだけで嫌がる。女はせいぜい男性に連れられてくるところと考えている」といった話もしていたとのこと。これも嫌な社会ですが、男性が多い領域に女性が入っていくと差別されやすいというのは知られている話で納得でした。



●盗作して掲載料、謝罪文でも全然罪悪感がなく思考が怖すぎる…

:群ようこさんの『この先には、何がある?』で盗作された…という話が出てきました。ひとつは素人のもので、群ようこさんの小説をエッセイ風にして投稿し、ちゃっかり掲載料まで何度ももらっていたとのこと。1回のうち3分の2くらいが盗用というのを何年にもわたってやっていたそうです。

 盗作した人から一応謝罪の文章が来たものの、「たまたま群ようこさんの本を図書館で読んで、こういう文章を書きたいと思って写して投稿した」というまるで罪悪感のない謝罪文。「たまたま群ようこさんの本を図書館で読んで、こういう文章を書きたいと思って」から「写して投稿」への飛躍がやばいですね。

 さらに、その後、この謝罪文には一切書かれていなった事実が判明。それ以前から盗用していたことも判明します。これでもう一度謝罪文が来ましたが、結局、最初と同じような内容で罪悪感なし。非常識すぎますが、群ようこさんは文字からして、自分と同じくらいの年齢か上、つまり、かなりの高齢じゃないかと思われるとしていました。


●著作権知らない業界人たち 断ったものを勝手に許可して発行

:上記と同じ『この先には、何がある?』からの話。前回の盗作騒動は高齢と思われる素人の話だったのでまだ良い(良くないけど)かもしれませんけど、その後出版業界の現役プロでも著作権意識がまったくないとわかる出来事が起きます。これは、アンソロジーの再録という話でのトラブルでした。

 群ようこさんはこれまでアンソロジーを断っていなかったのですけど、このフリーの編集者は面識がない上に、再録願いを出すべき出版社を間違えているといういい加減さで能力に疑問符が生じました。そこで、その理由を正直に書いた上でお断りします。ただ、そもそも問題ある編集者でしたので、これでは終わりません。勝手に発行されてしまいました。

 しかも、これはフリーの編集者だけでなく、出版社の編集者とその上司もひどかったという話。この出版社も仕事がいい加減ということで、群ようこさんが付き合いをやめていた出版社でした。今回、本人の許可なくアンソロジーを許可してしまった…ということで、これまたその判断が正しかったことを証明する非常識さを示しています。

 この発行までの経緯を聞くと呆れますね。まず、群ようこさんにアンソロジーを断られた編集者は、群ようこさんが許可してくれないので、「とにかく許可がほしい」としつこくメールして、群ようこさん抜きで出版社に許可願い。一方、この出版社も非常識なので、本人の許可なく、編集部の担当者の上司が勝手に許可して発行したようです。

 当事者らがみな著作権意識皆無だったわけですが、揃いも揃って罪悪感もなく「私は悪くない」という責任回避な謝罪。日本文藝家協会の著作権管理部が乗り出す大ごとに発展します。この著作権管理部によると、関係者らは全く著作権について理解していなかったとのこと。この人らが出版業界で働いているってやばいですね。

 そういえば、ミステリー作家の東野圭吾さんも勝手にアンソロジーを出されたと以前書いていました。東野圭吾さんの場合は確か全く接触すらなかったはず。群ようこさんの件では他の作家も被害を受けたのではないか?と言う書き方だったので、ひょっとしたら同一案件かも。別件だとしたら、さらに日本やばい…という話です。





●ChatGPT

2023/05/19:もうChatGPT関係なく、BING検索の問題っぽいんですけど、この前びっくりしたのが、スマホアプリのBINGを使っていて「コルドバ」を検索しようとしたときのこと。「コルド」まで打つと、予測変換で「コルドバ」を出してくれたのはむしろ良いんです。ただ、その説明に「スペインの首都」と書かれていてびっくり。思わず二度見しましたわ。

 今やってみても再現されます。やっぱり「スペインの首都」と書かれていますね。なんでこうなった?という感じです。びっくりしすぎて、スペインの正しい首都ってどこ?と考えたときに、とっさには出てきませんでした。リスボンはポルトガルだし、スペインはどこだっけ?と検索してマドリードと確認。なぜこんなことを忘れてしまったのか?

 私がスペインの首都をど忘れしたのは良いとして、コルドバの話。私はそもそもコルドバと言うと、人名であり、そういう都市があることすら知りませんでした。ただ、BINGくんが勘違いしちゃうくらいなので、何かしら理由があるんだろうな?とウィキペディアを確認。どうも大昔にいくつかの国で首都だったのを、BINGくんが誤解してしまった感じですね。

<コルドバ(スペイン語: Córdoba、ラテン語: Corduba、アラビア語: قرطبة‎)は、スペイン・アンダルシア州コルドバ県のムニシピオ(基礎自治体)。コルドバ県の県都である。グアダルキビール川に面する。
 かつての後ウマイヤ朝の首都で、イスラム時代の文化を伝える建築物や街路が遺されている。メスキータやユダヤ人街を含む「コルドバ歴史地区」は世界遺産に登録されている。>
<古代ローマ時代には、属州ヒスパーニア・バエティカの首都であった。現在でもローマ寺院やローマ橋などの遺跡が遺されている>
<711年にイスラム教徒によって西ゴート王国が征服された(グアダレーテ河畔の戦い)。756年に成立した後ウマイヤ朝はコルドバを首都とし、その中心はモスク(メスキータ)であった>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%90_(%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3)




怪談・空飛ぶ鬼の首と峠のトンネルの子供幽霊が出る理由と正体
■タイトル■題名■タイトル■題名■タイトル■題名■タイトル■


 今回は「峠のトンネルの子供幽霊」の方の話です。こちらもさだまさしさんの子供の頃の話で、長崎の日見峠のトンネル出口に深夜、子供の幽霊が出るという噂。運転していると、車の中を覗き込む…という話です。で、こちらも前回の話と同様、心当たりありまくり。こっちはさだまさしさんら兄弟が正体です。

 その日、両親は車で外出。当然ながら家で待っているように言われましたが、妹が迎えに行きたいと言い、同情した弟も兄のさだまさしさんを説得。3人で車が来る方へとだんだんと歩いていて、ついにはトンネルのところまで来てしまいました。トンネルの中はさすがに怖くて行けなかったそうです。

 しかし、そんなところで待っていても、両親に気づかれないおそれがあります。そこで、車が来るたびに、3人で必死になって覗き込んだとのこと。結局、妹が眠くなって帰ることになり、会えずじまいだったのですけど、このおかげで「トンネル出口で車を覗き込む子供幽霊」ができあがりました。





 佐藤愛子さんの『老残のたしなみ』を読んでいると、1997年(平成9年)2月 - 5月にかけて兵庫県神戸市須磨区で発生した神戸連続児童殺傷事件の話が出ていました。これは、未成年の少年が犯人だったことが衝撃を与えた事件。「少年A」あるいは犯行予告で使われた「酒鬼薔薇聖斗」などの名前で呼ばれることが多いです。

 このように少年による凶悪事件であったことを踏まえてでしょう、この事件の後、小杉文部大臣(現在で言う文部科学大臣)は「心の教育をしたい」とコメントしたそうです。検索してみると、当時の文部大臣は、自民党の小杉隆議員ですね。第2次橋本内閣のときです。

 ここで大臣の言った「心の教育」とは何だったのでしょうか。この当然の疑問について国会である議員が質問したところ、大臣は「ここで申し上げるほどに十分にまだ考えていませんので、追ってよく考えたいと思います」と答えたとのこと。要するに何も考えずに言って、聞かれて初めて「これから考える」との回答。呆れます。
●舌切雀はおじいさんが浮気して若い性悪女に溺れる話だった?

 『老残のたしなみ』で佐藤愛子さんは『舌切雀』で本当にかわいそうなのは、欲張りで悪役とされるおばあさんではないか?という話を書いていました。佐藤愛子さんらしくひねくれた冗談みたいなところはあるのですけど、このとき読んでいた『舌切雀』も「なんじゃこりゃ?」と思うところがあり、佐藤愛子さんの気持ちもわかるところでした。

 まず、佐藤愛子さんは自分の子供の頃の『舌切雀』といろいろ違うところに不満。ただ、これは今の子供向けに改変…というわかりやすい話ではなく、むしろ佐藤愛子さんが昔読んだ『舌切雀』の方が子供向けに改変された部分が多く、このとき(1996年)に読んだ『舌切雀』の方に残忍さを残しています。

 ただ、ウィキペディアを読んでも出てこない改変と思われる部分もあり、それが「なんじゃこりゃ?」というものなんですよね。舌切雀が舌を切られるのは、おばあさんが作った糊(接着のためののり)を勝手に食べてしまったため。これは原作と同じなのですけど、なんと雀は口に糊をつけたまま「猫が食うた」とバレバレの嘘をついています。

 これではおばあさんが怒るのは当たり前。「嘘をつくのはいけないことだ」という雀を悪役とした教訓話にした方が良さげなものです。ただ、嘘をつくのではなく、全く罪のない猫に罪をなすりつけているのですから極めて悪質。いまいち雀に感情移入できないというか、むしろ憎らしいです。

 この後は佐藤愛子さんらしい飛躍があり、おじいさんも心がきれいなわけではなく、おばあさんそっちのけで雀にばかり構うスケベじじいではないか?とのこと。実際、この絵本では、仕事になかなか行かずに雀にばかり構うおじいさんの描写があったそうで、愛に狂ったダメ人間感があります。雀を愛人女の隠喩とすればぴったりですわ。

 ただし、この絵本でも結末としては、性悪雀も愛欲じじいも罰を受けず、おばあさんが一番ひどい目に合うのは同じでした。おじいさんは大判小判をもらった一方、おばあさんはいくつかある結末で最も救いがない殺されエンド。物語としても「(毒虫が)殺してしまいました」で終わり、教訓めいた終わり方でもなかったそうです。


●「まだ使えるから使う」貧乏くさい格好の人の自宅を訪ねてびっくり!

:『老いとお金』(群 ようこ)であった話。群ようこさんの知り合いの友達に、世間知らずで天然の女性がいるとのこと。群ようこさんの知り合いとその友達が出会ったのは、私立幼稚園の入学試験の親子面接でした。こうした面接では、両親も大事だといいます。そのときも母親はスーツなど、気を使った格好をみなしていました。

 ところが、唯一の例外がその天然の女性。もこもこしたワンピースで、しかも、頭にはカチューシャをつけています。周りのお母さんは場違いな彼女を見ていますが、全く気にする様子はなさげ。「これは絶対落ちたな」と友達は思ったのですけど、なぜか試験に受かっていて、後日入園式で再会しました。

 この入園式でもワンピースですので、それ以外となるとさらにひどいことに。エスカレーター式で進学した小学校では、周りのお母さんが化粧も格好も気合を入れている中、なんとキャラクターが大きく描かれたTシャツでお迎えに…。足元は履き古されてくたびれたスニーカーだというのが、またすごいですね。

 こんな人なので、周りのお母さん方からは敬遠されます。唯一かまってくれる群ようこさんの知り合いとばかり仲良くして、ついには家に招かれました。前述のようなエスカレーター式の幼稚園に行く人なので、当然この知り合いも裕福だったのですけど、行ってみてびっくり。高級住宅街にある四階建ての大豪邸でした。

 さらにその後1億じゃ済まなそうな邸宅を一気に2軒現金買いで建てており、貧乏くさい予感を大きく裏切る大金持ち。なんと明治創業の企業の一人娘だとのこと。調度品もすごかったそうです。一方で、食器は商店街の福引やおまけでもらったというものばかり…という落差。お寿司屋さんの店名入り湯呑も愛用しています。

 驚いて尋ねると、「前からあるし壊れてないから」とニコニコ。特に疑問に思っていないようです。また、前述の入園式の服装は「太ってしまい、寒い時期は他に入る服がなかった」という理由。「服を買いに行く服がない」の話をなんとなく思い出しました。あと、カチューシャはバサバサの髪をごまかすためだったそうです。

 食事に関して言うと、この女性だけでなく家族みんなが一番好きなのはなんとファーストフードで、これが外食の楽しみ。高級レストランも話題のお店も興味ないとのこと。なお、海外旅行だけはビジネスクラスとちょっとお高いのは、単にエコノミークラスだと太っていて無理だからという切実な理由。じゃなきゃエコノミーなんでしょうね。



●カンボジアではうんこのことで虎が猫を恨んでいる?なぜ?

 金井美恵子さんの『迷い猫あずかってます』で、本題ではない話が気になりました。南方熊楠の『十二支考 』に「猫 往昔(むかし)虎に黠智(かっち、悪賢い知恵)と躍越法を教へたが、特(ひと)り糞を埋むる秘訣のみは伝へず、これを恨んで虎今に猫を嫉(ねた)むとカンボジアの俗信ず」とあるそうです。虎は猫のように糞をした後、砂をかけて隠す行為をしないということがまずひとつ。本当かどうか知りませんが、これがまずおもしろいところ。さらには、そのことで虎が猫を恨んでいると思われているというのが、おもしろいですね

 『迷い猫あずかってます』では、この後、だいぶ経ったところでも南方熊楠の『十二支考 』の話が登場。これによれば、虎の唐音は「フウ」でその吠え声が由来だとのこと。これは正直そこまでおもしろい話でもないのですけど、おもしろいのが中国の虎の俗称に「李耳」(りじ)なるものがあるという話です。

 「李耳」(りじ)は「狸児」がなまったもの。では、中国で虎は「狸の子」と思われている…という話だとそれはそれでおもしろかったのですけど、中国で狸には「野猫」の意味があるといいます。なので、虎は「野猫の子」と思われていたみたいですね。また、普通の猫は「家狸」の異名があるそうです。

 猫が虎の子…という方がまだわかりますが、逆に虎が猫の子となっています。これがおもしろいと私は思いました。これについて、南方熊楠は仏経に龍をののしって「小蛇子」と呼ぶように、「狸児」は虎をさげすんで子供の猫と呼んでいたのではないかと予想していたそうです。




 金井美恵子さんの『迷い猫あずかってます』によると、言語学者の西江雅之さんは終戦後の少年時代、近所の猫を「狩猟」して、猫の毛皮で防寒手袋を作っていたそうです。私はこの部分をさらっと呼んでしまい、なんとなく野良猫を殺していたのだと思ったら違いました。他人の飼い猫を勝手に殺していたようです。

 これがわかったのは、この直後の部分。西江雅之さんが大人になってシャム猫を飼い始めたときに、近所のおばさんに「家の猫ですのでよろしく」と挨拶したところ、「フン、三十年前、家の猫を手袋にしたくせに!」と怒鳴られたという話でした。「家の猫」はおそらく「うちの飼い猫」という意味。勝手に殺していたんですね。

 ところで、この場所というのは、田舎ではなく東京。「東京の南長崎」と書かれていました。東京に南長崎があるとは知りませんでしたわ。東京都豊島区の町名であり、長崎、西池袋、目白などと隣接。つまり、長崎という地名もあります。人口密度は2万人で、全国でもトップクラスだそうです。





●日本人はむしろ人にぶつかっても謝罪しない人種だった可能性

 檀ふみさんの『まだふみもみず』は、海外の話が多く出てくるエッセイ。これを読んでいて気になったのが、アメリカ人のフランクさに関する話でした。檀ふみいわく、アメリカ人は目が合えば誰でも「ハーイ!」とあいさつ。笑顔を見せれば、必ず笑顔を返してくれるといいます。

 こういうフランクなアメリカから日本に戻ってきて驚いたのが、日本の街にひしめく不機嫌な顔の波。日本ってなんて愛想の悪い国なんだろう…と思ったんだそうな。ちなみにこの書籍を出している幻冬舎は、安倍首相の友人である見城徹さんのところであり、別に左翼系出版社ではありません。

 それはともかく、上記の話そのものは個人的に意外ではなく、特に紹介したかった話でもなし。ただ、予想外だったのが、上記の話に続けて、なぜ日本人は街中で人にぶつかっておいて「ごめん」の一言も言えないのだろうと書いてあったこと。これはよく言われる日本人の行動と逆で意外でした(ちなみに出版は2000年)。



●意外に繊細なサバイバルスタッフ「フランス料理まずい」と自炊

 『まだふみもみず』によると、檀ふみさんは、世界中の秘境でサバイバルな撮影をしてきたという、屈強な日本人スタッフらと、パリで仕事をしたことがあるとのこと。こういう人たちなら、どんな食事でも大丈夫なんだろうと私はイメージしたのですけど、書かれていたのはまるで逆のエピソードでした。

 彼らは「フランス料理なんて1回食べたら、2週間はにおいもかぎたくない」と言って、大量の食材を日本から持ち込んで自炊。そんなナーバスな食事の好みで、サバイバルできるの?と不思議。意外です。ただし、この後、逆に食事に対するこだわりのなさを感じるエピソードが登場します。

 彼らは観光地の土産物をいっしょに売っているようなカフェに、行き当たりばったりな感じで入店して食事。ここはこだわりのなさを感じます。一方で、味にはこだわりがあり、この土産物カフェでステーキを注文して、「うん、やっぱりフランス料理はまずい」と嘆き。なんか妙な感じですね。





●良かった昔の時代なはずの平安時代でも「昔は良かった」と嘆き

 檀ふみさんの『まだふみもみず』によると、作家の田辺聖子さんが「昔の女の人は自分の思いを直接言うと、むきつけ(面と向かって無遠慮なこと)になるので、延々と遠回しに話して、心の綾(複雑な心の動き)を伝えようとした」といったことを話していたそうです。

 田辺聖子さんいわく、『源氏物語』もそんな雰囲気。檀ふみさんはこれを思い出し、最近の若い子は極端に短い言葉で会話をし、自分の心の微妙なひだを伝えるすべを失ってしまったのかもしれないと書きます。さらに、いくつかのマナー違反を挙げて、日本人が失ったものばかり思い出す…としていました。

 このまま終わると典型的な「昔は良かった」なのですけど、檀ふみさんがいいなと思うのはここで終わらず、きちんとオチをつけていたこと。「昔は良かった」に思える大昔の『源氏物語』でも、「古き良き時代は帰ってこない」といった一節があったというのです。

 たぶん人(特に高齢者)は古代から懲りずに「昔は良かった」を繰り返しているんでしょうね。このしょーもない昔は良かった論だけは、いつまでも失われないようです。


●在庫があるのに「在庫はない」と言って売るフランス人の価値観

 檀ふみさんの『まだふみもみず』に出ていた話。フランスのパリでクリスタルの食器を売っているバカラ社に行ったものの、どれもこれも高くて手が出ず。ただ、たまたまグラスが目に止まり、女優仲間の中井貴惠さんの結婚祝いにしようと思いつきます。値段も手頃で、仲間といっしょに買うので、これなら買えそうでした。

 ところが、店員さんは「これは在庫がなくて…」と渋い顔。で、いくつあるか?と聞いたら、なんと72個もあると言われて、吹き出しそうに。商売人が商品として大量に買い付けるならともかく、結婚祝いならそんなにいりません。この場合はわずか6個でした。

 購入後、別の客にも「在庫がない」と言っている声が聞こえます。檀ふみさんはこれがわからず、長い間ずっと不思議だったのこと。確かに不思議です。バカラでは大口顧客に売るのが普通で、それ以外は考えられないのでしょうか。それとも、「在庫がない」と言って焦らせて売るやり方なのでしょうか。

 これを理解するには、あるおばあさんの話がわかりすかったです。おばあさんは丁寧に包んだ中から割れたグラスを取り出し、「どうにか直せないかしら」と悲しそうに聞いたとのこと。どうもフランスでは、揃いの食器を常に数を揃えてずっと長く使っていくという考え方みたいですね。170年売り続けている商品もあるといいます。

 檀ふみさんの買った「在庫がない」食器が安かったのは、製造停止になっていたため。数を揃えてずっと使っていくというフランスの価値観だと買いづらい「訳あり品」だったので、いちいち将来在庫切れになることを断っていたようです。文化の違いだな…と、なんか妙に印象に残りました。






 『半径500mの日常』によると、群ようこさんが子供の頃買っていた有名週刊少年漫画雑誌には、なんでも透けて見える「透け透けメガネ」という胡散臭い商品の宣伝があったそう。群ようこさんは女の子なのでこれはほしくなかったけど、頭が良くなる「エジソンバンド」なるものは欲しかったそうです。

 親は「だまされるに決まっている」と言って、幸い(?)買ってくれず。ただ、群ようこさんは「そんな子供をだますものがなぜ漫画の本に載っているのか」と不思議だったそうな。これは確かに不思議。当時の出版社は子供をだまして稼ぐことにも躊躇なかったんでしょうね。今は大丈夫なんでしょうか。




 群ようこさんの『半径500mの日常』で、日本人旅行者は一時外国人から「ノーキョー」と呼ばれてバカにされるのが流行ってたとのこと。たぶん「トーキョー」のもじりなのでしょうが、この「ノーキョー」が何を意味するのかは本に書かれておらず。旅行客として来てほしくないといった意味での「ノー」とかけているんですかね。

 ここらへんの詳細は不明ですが、群ようこさんが「ノーキョー」と呼ばれてバカにされることに納得してしまう出来事がありました。しかし、海外に行く前の時点でからすでに馬鹿騒ぎ。成田空港の行くリムジンバスの中で団体客のおっさんたちがながら大騒ぎ。飛行機の中でももちろん大騒ぎで、大声で演歌、おまけに乗務員に卑猥な言葉を浴びせています。

 以上は笑えない話でしたが、海外についてからの行動は普通に不思議に思ったもの。経由地のアラスカ・アンカレッジ空港に降りた途端、うどん屋を見つけて叫び、うどん屋に駆け込み。群ようこさんに話しかけてきたおっさんなんかは目的地を誤解しており、海外に何をしに行くのかと純粋に不思議でした。

 一方、おばさんたちはカフェテリアでスイカをむさぼり食っており、これもみっともなく見えたみたいですね。そして、彼らに限らず、空港内の店を右往左往しているのは、日本人の団体観光客だけだったとのことでした。当時(バブル中の1988年頃のエッセイを中心に収録)の日本人の団体観光客の勢いが伝わる話です。




 群ようこさんの『半径500mの日常』であったイタリア人の適当さの話。イタリアから雑誌の入った封筒が届いたのだけど、とにかく切手の貼り方がひどいんだとのこと。1枚が45度に傾き、もう1枚が80度に傾いた上にはるかかなたに貼っています。切手なんて貼っていれば貼り方はどうでもいい…といった感じです。

 一方、日本では「親のしつけがなっていない」「だらしない性格」などと言われかねません。群ようこさんも会社で「まっすぐ貼らないと相手に失礼」と習ったとのこと。さすが日本人、相手に失礼のないように考え尽くされている…と外国人に感心されそうな話です。

 ただ、実際、「切手なんて貼っていれば貼り方はどうでもいい」が真理ではないか?とも思えます。なぜそんなことに神経を使うのか?とよく考えたら疑問。その程度のことで、「失礼な人だ」「だらしない性格だ」「親のしつけが悪い」などと思う人の方が、なんかよっぽどおかしいんじゃないか?という気もしてきます。

 群ようこさんは、おみやげなどの包装紙でも、きれいにはがさないと母からぶたれたそうな。ただ、母親はそうして溜め込んでおいた包装紙を使うでもなく、年末の大掃除のたびに捨てていたとのこと。これを群ようこさんは「表面的な日本人の美徳ごっこ」と表現。我々は本質的な部分を見逃しているのかもしれません。


●千利休時代からの伝統の樂焼は親の作品の写しはつくらせない

 『檀ふみの茶の湯はじめ』によれば、樂焼は千利休が自らの茶の湯の理想を体現すべく作らせた茶碗が始まり。千利休が自らの茶の湯の理想を体現させた茶碗ですので、代々の樂家当主にとっても当然ながらこれが基本。では、そっくり似た茶碗を作るのか?と言うと、そうではありません。

 樂家では当主にならなければ樂茶碗を焼けないのですが、技術を教えないだけでなく、なんと親の作品の写しのようなものをつくらせないそうです。前述の通り、もちろん初代は基本。その基本を消化した上で、「全く新しい自分を創っていく」ものだといいます。

 ちなみに樂家の十五代当主・樂吉左衞門さんは、「茶碗を芸術にした最初の男」と言われているとのこと。逆言えば、以前の茶碗は芸術ではなかったということで、やはり新しさがあるんでしょうね。千利休が好んだ初代である長次郎の茶碗とはかけ離れている…と感じさせる茶碗だそうです。


●「伝統とは、その時代にとって新しいものをつくり続けること」を体現

 前回の続き。こうしてできた作品、美しい作品を見るうちに檀ふみさんは、むかし誰かから聞いた「本当に新しいものは古びない。伝統とは、その時代にとって新しいものをつくり続けること」という言葉を思い出したそうです。私がよく書いている「伝統は変わらないことではない」と通じるものを感じました。

 ところで、前述した樂吉左衞門さんは、茶碗で伝統の樂家の十五代当主なのにもかかわらず、「小さい頃から茶が嫌い」。お稽古もしたことがないといいます。ただ、途中でお茶には目覚めました。ところが、このお茶に目覚めた場所というのがおもしろいです。なんとローマだそうです。

 ローマで出会った茶人は日本人女性ではあったそうなのですけど、その人がイタリア語でやるお茶がとてもしっかりしたもので、お茶を「初めておもしろいと思った」とのこと。檀ふみさんは、とてもしっかりしたお茶なら京都でもありそうなのに…と言っていましたが、樂吉左衞門さんにとってはこれが最初だったそうです。