2023年8月24日木曜日

浜崎あゆみは元キッズモデルで、アイドル、女優だった…

■2021/12/10 好みど真ん中なEeL、中田ヤスタカのCAPSULEと混じる…
■2022/08/07 中田ヤスタカのCAPSULEが売れるようになったのはいつなのか?
■2022/09/03 浜崎あゆみは元キッズモデルで、アイドル、女優だった…
■2020/04/10 m.c.A・T、宮沢りえ、観月ありさも小室ファミリーだった?


■2021/12/10 好みど真ん中なEeL、中田ヤスタカのCAPSULEと混じる…

 EeLのCDが出てきました。当時好みど真ん中で大好き!と思ったもので、ナンバーワンクラスだったのですが、今聞き直してみると、そこまでは行かないです。好み変わったのかな…。ただ、聞いているうちにだんだん蘇ってきました。やっぱり相当良いですね。

 EeLはたぶん英語で「うなぎ」の意味。なんで「うなぎ?」という謎なチョイス。
 全然有名じゃないのでWikipediaに単独項目はないものの、「イール」の曖昧さ回避の項目で名前は出てきています。ただ、「日本のバンド」という紹介になっていて、「バンドかなぁ?」と。

 今聞き直してみると、楽曲によっては確かに思ったよりバンド臭するものがあってびっくり。このバンド臭ある方が今は好みかも。ただ、私的には当時渋谷系という理解でした。渋谷系は音楽ジャンルとしては異端な分類ですし、大きく言うと、エレクトロニカ系、テクノ系ですかね。
 検索してみると、<EeL - OTOTOY>では、<エレクトリック・パンク・ミュージックをベースに、キュートかつ、ファンキーなポップ・ミュージックを作り出す関西在住女性アーティスト>という説明。やはりバンドではないですよね。また、エレクトリックというワードがやはり出てきました。

 ここでは、初の音源をリリースしたのは1999年で、フレンチ・ポップ、ボサの要素を取り入れた音楽との説明。
 2000年1月には、高速打ち込みビート+ウィスパー・ヴォイスのテクノ・ポップ・サウンドへと展開を広げ、アルバム『Kung-Fu Master』(2001年4月)、『EeL early works』(2001年9月)、『people people』(2001年12月)をリリースとありました。
 もう1枚持っていたはずですが、今出てきたのは、3つのうちの最初『Kung-Fu Master』ですね。ウィスパーボイス強いってのは思いましたね。こんなんだったっけ?と最初戸惑いました。

 この後は聞いてない時期ですが、2002年4月からトラック・メーカーにROMZ recordのmilch of sourceが参加。2004年12月、オールド・スクールからブレイク・コア、ファンク、レゲエ、エレクトロニカなどあらゆるジャンルをエレクトリック&ポップに再構築した4thアルバム『Little Prince』をリリースしたそうです。

 記憶と違っていたのでなんか変だなと検索して、気づきました。「CAPSULE」と勘違いしていましたわ。ナンバーワンクラスで好きだったってのは、「CAPSULE」の方。ごめんなさい、だいぶ勘違い。でも、EeLも間違いなく大好きですね。
 「CAPSULE」はPerfumeなどのプロデュースで知られる中田ヤスタカさんのユニット(ただWikipediaはCAPSULEもバンドとの説明)。Wikipedia見たら、「CAPSULE」もかなり売れたんですね。私が買っていた頃は全然だったはずです。(ちなみに私が買っていた頃の表記はcapsuleで後に表記変更したようでした)

■2022/08/07 中田ヤスタカのCAPSULEが売れるようになったのはいつなのか?

 CAPSULEですが、ウィキペディアによると、2001年にメジャーデビュー。 これはCDデビューという書き方もされています。2001年3月28日のマキシシングル「さくら」が最初のようですが、このときはたぶん私は知らなかったと思います。
 記憶にあるのは、アルバム2枚ですね。たぶん初期の3枚のうちの2枚だと思うのですが、検索して画像を見ても特徴のないシンプルなジャケットで全然記憶にありません。このときはあまり売れていなかったようで、ウィキペディアにある順位(オリコン順位?)という項目は圏外もしくは低い数値でした。

1     2001年11月21日     ハイカラ・ガール -(圏外?)
2     2003年3月19日     CUTIE CINEMA REPLAY     232位
3     2003年11月19日     phony phonic     120位

 4枚目以降は30位~50位代くらいでもう少し良い順。さらに7枚目以降は20位台で安定しています。ただ、アルバム順位はリリースが少ないために、シングルと全然イメージが違います。かなり良い順位でないと一般人はほとんど知らない状態。個人的にはベスト10は最低限必要なイメージでした。

4     2004年6月9日     S.F. sound furniture     35位
5     2005年2月9日     NEXUS-2060     59位
6     2005年9月21日     L.D.K. Lounge Designers Killer     49位
7     2006年5月10日     FRUITS CLiPPER     CD     29位
8     2007年2月21日     Sugarless GiRL     CD     25位
9     2007年12月5日     FLASH BACK     CD     20位

 ただし、ウィキペディアによると、この最後の20位のアルバム『FLASH BACK』の時点でかなり売れていた模様。その次のアルバムからは以下のように、「オリコンチャート6位」などと文句なしの売れ方をしており、9枚目の『FLASH BACK』か『MORE! MORE! MORE!』のあたりでブレイクとみなされているようでした。

<2007年、アルバム『FLASH BACK』がiTunes Storeエレクトロニックチャートにおいて1位を獲得、総合チャートにおいても1位を獲得している。2008年、アルバム『MORE! MORE! MORE!』がオリコンチャート6位となり[4]、capsule初のオリコンベストテン入りとなった。2009年、初のベストアルバム『FLASH BEST』もオリコン週間チャート7位[5]、CDデビュー10周年となる2011年のアルバム『WORLD OF FANTASY』がオリコン週間チャート3位となった[6]>

■2022/09/03 浜崎あゆみは元キッズモデルで、アイドル、女優だった…

 ビデオテープ整理で「学校II」というビデオテープが出てきました。全く覚えがありません。少し見たものの、やはり記憶になし。検索すると、山田洋次監督の1996年の映画。家族の誰も見そうにない渋いチョイスです。
 変だな…と思ってウィキペディアを見ても、どう考えても家族の誰も見ないだろう内容の映画。謎です。

<竜別(りゅうべつ)高等養護学校では、様々な障碍を持つ生徒たちが寮生活を送りながら教育を受けている。2年前この学校に入学してきたのは、いじめに遭って以来一言も話さなくなった高志や言語障害と歩行障害がある佑矢たち。彼らを受け持つのは、クラス担任の竜平とそれをサポートする玲子、それに新人教師・小林の3人。佑矢は特に手のかかる生徒で、すぐに暴れ回るため小林はつきっきりでその対応に追われる。竜平たちは長い月日をかけて生徒との関係を築いていく。しかし3年生になった高志はある日、佑矢を連れて「買い物へ行く」と寄宿舎を出たまま失踪する>

 ただ、予想外なことにアイドルも出ていた模様。なので、アイドルファンの家族が録画した映画なのでしょう。映画の内容はたぶん理解できていなかったものと思われます。


その他の主な人物
由香
    演 - 浜崎あゆみ
    竜平の娘。母と祖母と3人で暮らす。進路をめぐり母と意見が合わずに悩む。

安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S
    演 - 安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S
    本人役でライブシーンで登場。他にも本作では安室奈美恵の楽曲が何度か使用されている[注 6]。

[注 6]^ 作中では「GOOD-NIGHT」や「Don't wanna cry」など安室奈美恵の楽曲が、CDやラジオから流れる曲として使用されている。


 浜崎あゆみの方のウィキペディアを見てみると、この映画のとき(1996年)、浜崎あゆみは歌手デビュー前。もともとはキッズモデルやアイドル、女優だったんですね。知りませんでしたわ…。

1978年 - 1997年 キッズモデル、アイドル時代
<小学生の頃にSOSモデルエージェンシー福岡にスカウトされ、「浜崎くるみ」(引用者注:本名は濱﨑 歩)の芸名で福岡中央銀行のポスターや地元商業広告に登場。その後、東京のサンミュージック(現:サンミュージックプロダクション)を紹介され、所属することとなる>
<1993年、14歳でテレビ朝日系テレビドラマ『ツインズ教師』でドラマ初出演し、女優としてデビュー。1994年、15歳で芸名を「浜﨑あゆみ」(『崎』の異体字『﨑』)に改名し、同年4月に堀越高等学校芸能活動コースに入学。同級生には中山エミリがいる。16歳から17歳にかけて「渚のシンドバット」「未成年」や「闇のパープル・アイ」等テレビドラマ・映画、Vシネマで女優として出演。またグラビアアイドルとしての活動や「AYUMI」名義でアルバム「NOTHING FROM NOTHING」のリリース(1995年)なども行った。
 また、スーパーファミコンのサテラビュー向けラジオ番組に泉谷しげると共にレギュラー出演していた事もある。(中略)当時に対談した伊集院光によるとこの頃の浜崎はアイドルでは全然売れておらず、一人で出した企画盤のCDをみんなに配っていたという>


■2020/04/10 m.c.A・T、宮沢りえ、観月ありさも小室ファミリーだった?

 過去のラジオ番組録音テープを整理中。1998年3月24日のゲルゲットショッキングセンターの「都内高校生101人に聞いときました」は「小室ファミリーといえば?」でした。今聞くと、「小室ファミリーなの?」って人がちょくちょく入っていて、「ん?」と思います。

1位    globe
2位    華原朋美
3位    安室奈美恵
4位    hitomi
5位    trf
6位    トーコ
7位    篠原涼子
8位    H Jungle with t
9位    観月ありさ
10位    宮沢りえ

 トーコも忘れかけていましたが、観月ありさ・宮沢りえは確実に小室ファミリーであった覚えがありません。Wikipediaを見ると、観月ありさは小室ファミリー完成前の時期から楽曲提供していたとのこと。そういえば、小室さんっぽい曲ありましたね。宮沢りえもWikipediaに入っていたものの、彼女もブーム前からの提供でした。私がまだ音楽をコンスタントに聞き始める前ですね。こうやって見ると、アイドル系かなりありますね。この後も名前が出てきます。
 さらにランキング圏外で名前が出てきたm.c.A・Tにびっくり。こちらは小室ファミリーのWikipedia、m.c.A・TのWikipediaにすら記述がありません。検索してみると、何度か小室さんが楽曲提供していた内田有紀の6枚目のシングル「EVER&EVER」が、内田有紀&m.c.A・T名義で、「作詞:m.c.A・T・小室哲哉、作曲・編曲:富樫明生・小室哲哉」だったので、ここらへんが理由でしょうか。しかし、全く覚えがない曲です。

 もうひとり渡辺美里がわからず。 Wikipediaによると、立身の契機を作った「恩人」であり、作詞面で小室に影響を与えるなど独自の世界を持つものの、小室ファミリーとされないとされていました。楽曲提供していたってことみたいですね。渡辺美里は「My Revolution」だけ好きだったんですけど、これ、小室さんだったということで納得したことを思い出しました。
 ゲルゲットショッキングセンター番組アシスタントで小室さんプロデュースでデビューの大賀埜々は、投票がなかった模様。マイナーですしね。他には、鈴木亜美という大物やdosなどがないですけど、デビュー前かな。

 私は小室さんの曲大好きな気がしていたのですけど、こうやって見ていくと、大好きってアーティストが全くいなくて不思議です。うーん、大好きだったというのは、錯覚なのか…。