2023年7月3日月曜日

虎屋


――黒川会長は、黒川家17代目です。18代の光晴さんに経営をバトンタッチされたわけですが、「自分の代で虎屋は終わるかもしれない」というプレッシャーに悩まれたことはありませんか。

「つながる、ということ」というテーマをうかがって、次代につなぐことの意味を自分なりに考えてみました。一言でいえば、「結果的につながった」という事実の連続にすぎないと思っています。

歴史が長いからすごいですね、と言ってくださる方がいらっしゃいますけど、全くすごくなんてありません。歴史があるから、会社の未来が保証されるわけではありません。社員には「大切なのは今だ」と訴え続けてきました。

(経営トップとしての)責任は強く自覚してきましたが、その一方で、先のことはわからないし、なるようにしかならない、という思いも常にありました。

ただ、手を抜いて仕事しても、全力でやっても、先が分からないということは、変わらない。であれば、悔いは絶対に残したくないから、全力でやってみよう、そんな思いで仕事に向き合ってきました。

周囲から見れば、「それがあなたの全力ですか」という批判もあったかもしれません。ただ、虎屋に入社して52年たちましたが、自分なりに息をつく間もなく、仕事に没頭してきました。

つないでいくことの答えは、「与えられた場所で最善をつくすこと」だと思っています。自分ができることをひたむきにやっていくしかない。その結果として、息子の代にたまたま「つながった」ということだと考えています。



――2003年に始めたトラヤカフェでは、和と洋を融合した「あんペースト」を発売しましたが、ロングセラーの人気商品になりました。トーストに塗ったり、ヨーグルトに入れたりなどして食べる商品です。

東京・六本木でトラヤカフェを始めたときは、和菓子業界からは「そんなことをやっていいのですか」「なんで和洋折衷(せっちゅう)のようなことをやるですか」などのご意見をいただくこともありました。社内からも「虎屋の名前に傷がつくのではないか」「失敗したらどうするんだ」という後ろ向きな声が多く出てきました。

しかし、保守的な姿勢を続けて、新しいことに挑戦しなければ、「このままでは虎屋を続けられなくなるのではないか」という不安もありました。「あんペースト」は、伝統的なあんの魅力を若い世代に伝える画期的な商品に成長しました。社員の挑戦心を高める意味でも、大きな意味がありました。



トラヤカフェを立ち上げたときは、公募したスタッフに菓子づくり、店づくりを任せました。「今」という空気感に敏感な店にしたい、という思いもあり、多くの若手社員を起用しました。和菓子の定義として、主に植物性の原材料を使う、ということがあるのですが、トラヤカフェではもっと自由で柔軟な発想で菓子作りをしてほしいと思っていました。

1980年にオープンしたパリ店では、和と洋のコラボレーションを考えながら、現地の方に馴染みのあるミルクやチョコレート、ドライフルーツなどを使ったオリジナル菓子を作ってきたので、その経験を生かしたいという思いがありました。

(中略)
環境の変化に合わせて、柔軟に対応すればいい。本質的でないと感じることについては、過去の成功体験に縛られず、あまりこだわらない方がいい――。心のどこかで、ずっとそう思っています。



昔は良かった…は記憶の改ざんか?記憶を捏造する脳のしくみ
●どこかで記憶がすり替わったのか?過去の回想小説では正しい記述

追記:佐藤愛子さんの短編集『一番淋しい空』は、味のある作品あり、笑える作品あり、私小説的な作品あり、私小説どころかそのまんま「佐藤愛子」が実名で出てくる作品あり…と、バラエティ豊かでした。このうち、『春の暖炉』は登場人物の名前こそ違うものの、私小説と思わせるものです。(巻末の解説では回想小説と記載)

 おそらく実話だろうと思われるのは、この投稿の冒頭で書いた話がそのまんま登場するため。親友作家が入院している最中だったという話、宇宙探査機アポロが月に向かっていた頃だったという話、その夜は空に月が見えていた…という話。ここで紹介していなかった話でもエッセイで読んだ内容が多いです。

 ただ、あれ?と思ったのが、このときの夜空に浮かんでいた月は、「三日月だった」という記述。月齢カレンダーと同じ…つまり、正しい月の形です。記憶とはあえて変えた可能性はありますが、変える必然性はなさげなので、このときはまだ三日月だと記憶していたのかもしれません。ちなみに書籍の初版発行は昭和54年、1979年となっていました。


 

 

 ●駆除では減らない?クマのゴミ漁り対策はカラスの場合と同じ

追記:クマを町に呼び寄せてしまうものを「誘引物」と言うそうです。これは畑や木になる果実だけでなく、ペットフードや鳥の餌、人間が出す生ゴミのようなものまで含まれます。人間にはクマの餌を用意しているつもりはないものの、クマにとっては「こんなところにごちそうが!」と学習するわけです。

 『クマが出た! 助けてベアドッグ』では、これを「人間は気づかないうちに、クマに『餌付け』しているのと同じです」という言い方をしていました。1998年にゴミ集積所にクマが現れるようになった軽井沢の場合、森の中の宿泊所で穴に捨てていた生ゴミを食べることを覚えてゴミ集積所にまで来るようになったようです。

 この軽井沢では、ゴミ漁りを覚えたクマを捕まえて「人間は怖い」と覚えさせる学習放獣を実施。それだけでなく、2002年からクマが開けられないゴミ箱への交換を始めました。結果、年間最大120件だったゴミ漁りが、2009年には0件まで減ったそうです。

 このうちゴミ箱で対策する…というのは、カラスのゴミ漁り対策の例を思い出しました。クマにしてもカラスにしても素人は「駆除すべき」と言いがちですが、以前のカラスのときには「駆除では減らない」と専門家が指摘。生ゴミを漁らせない対策の方が効果的だと言われていたんですよね…。